「尾崎翠」から拡がるゆるやかなネットワーク  「尾崎翠」へとゆるやかに収斂するノマドたちの非-群

2012kitagawa

この講演の全録は「報告集2012」に掲載されています。

2012 北川扶生子さんの講演抄録

女の子のサバイバル―尾崎翠の文学的方法

                       北川 扶生子(鳥取大学准教授)

尾崎翠の魅力

 私の今日のお話は、「女の子のサバイバル」と題しまして、尾崎翠の文学的な方法について考えてみようというものです。
 はじめて尾崎翠の作品を読んだとき、特に「第七官界彷徨」とか、「アップルパイの午後」という作品を読んだ時に、その独特の浮遊感といいますか、どこにも足をつけずに宙に浮いているような感じ、かろやかさ、スピード感といったものに驚きました。何も背負わない、責任を取らない、何者にもならない、そんな登場人物たちが、世界をどんどん無意味なものにしていく。その軽さ、スピード感が印象的でした。
 世の中には様々な規範やお手本というものがありまして、こうしなさい、ああしなさい、というふうに私たちに迫ってきます。そういうものと、真正面から戦うのではなくて、また反抗したり逃げてしまうわけでもなくて、なにか相手を骨抜きにしてしまうような、不思議な破壊力を尾崎翠の作品からは感じます。しかも、あくまでしなやかに余裕を持って、骨抜きにしている。たいへん手強い人ではないかと思いました。
 こういった尾崎翠の軽さというのは、私の中ではどこか少女マンガを読んだときの体験とつながっています。大島弓子とか萩尾望都とか竹宮恵子とか。彼女らの作品は、しばしば時間をテーマにしています。特に、子どもが大人になるにあたって、どういう危機を乗り越えないといけないか、その時どれほどの困難があるか、というようなことをテーマにしているように思われます。彼女らの作品では、しばしば閉ざされた空間が舞台になります。それは多分、そのマンガの登場人物たちや、彼らに感情移入する読者たちが、自分たちはなにか閉ざされたところで生きていて、どこにも本当の居場所がない、着地点が見つからない、と感じているからではないか、という印象を受けました。
 今、尾崎翠が非常によく読まれている、特に若い人にけっこう読まれている、という理由のなかには、これらの作品が描いているものとの共通点が確実にあるのではないかと思います。
 ただ、尾崎翠の独創というのはそれだけにとどまらなくて、つまり、少女の行き場のない感情をすくい上げている、というところにとどまるのではなくて、少女の直接的な心情の吐露というものを、文学的な方法にまで深めている、そこにこの作家の本当の意味があるのではないかと思います。
 昔も今も、こんな大人になりなさいとか、こんなふうにふるまいなさいとか、いろんな規範やお手本に、私たちは囲まれています。そういう世界に対して、イヤだとか、どこか変だなと感じる自分がいる、ということを少女たちが確認をする。そして、そういう世界を拒否したい、成長することを拒否したいと思っている自分、それは現実の世界ではなかなか叶えられないものですが、そういう自分の居場所をフィクションの世界で創り出していく、その方法を文学として、言葉の世界で発明してみせた。この点に、尾崎翠の現代的な意義があるのではないでしょうか。
 今日はそのような翠の文学における様々な表現方法の工夫、模索というものを、女の子が生き延びるためのサバイバルの方法として読み解いてみたいと思います。

講演の概要

 今日のお話の手順はごらんの通りです。

女の子のサバイバル―尾崎翠の文学的方法―

Ⅰ. 箱庭世界としての家
Ⅱ. 変態、農学、女中―人物と部屋が象徴する時代相
Ⅲ. 転倒の手法
  (1)レンズと覗き見―視覚史と都市空間
  (2)世界を二次元化するレトリック
Ⅳ. 女の子のサバイバル・スキル―時代規範の解体法

 はじめに、「第七官界彷徨」に描かれる「変な家庭」という物語の舞台がありますが、これを箱庭世界とみることが出来るということ。そして家の中の様々な空間、女中部屋とか、一助の部屋、二助の部屋とか出てきますが、そういった空間が、この物語が書かれた大正時代の後期から昭和初期の世相をそれぞれ反映している、ということを確認します。そして、時代を象徴するこの家を舞台に、尾崎が様々な規範を転倒している、骨抜きにしていること。その骨抜きにするための方法というものを、二つの視点から考えます。一つめは、視覚の歴史です。見ることが、歴史的にどんなふうに変わってきたか。そしてそれが、この時代の東京に成立した都市空間の中で、どのように変質を遂げたか、そういった点から見てみます。二つめは、尾崎の言葉の使い方、レトリックについてです。彼女の文章には、世界から奥行きを奪って、いわば三次元を二次元にするような効果があります。そのことを確認します。そして、これらが、この時代の代表的な規範を解体して、女の子が生き延びるためのテクニックとして、スキルとして描かれていることを最後に確認したいと思います。
 ――それぞれのテーマについて、論証過程に興味深い卓見が多く見られます。詳細については、尾崎翠フォーラム報告集vol.12をご覧下さい。

講演のまとめ

 「第七官界彷徨」の舞台となる「変な家庭」は、彼女が生きた時代の、さまざま規範や時代相を象徴しています。翠はいろいろな方法を駆使して、そのような規範を解体しています。たとえば、この社会は、よりよいものに発展していくものである、という発展モデル。私たちはまさに、その行き詰まりに直面しているわけですが、そういった発展モデル。あるいは軍国主義やマルクス主義。良妻賢母になるか、過酷な労働に従事するか、どちらかを選ぶことを求める、女性をめぐる規範。また、文学の分野では、内面やその成長を描くのが文学であるというような考え方。こういったさまざまな規範を、新しい時代の視覚やテクノロジー、メディアの体験を反映した文学的方法によって、翠は解体していきました。地方から東京に上京した女の子が体験した、新しい時代のスピードや軽さ、それを文学の表現方法にまで鍛え上げて、女の子をめぐるいろいろな板挟み状態を切り抜けて、バーチャルな世界に居場所をつくって生き延びる、そのような方法を尾崎は見つけ出したのではないかと思います。
 この作品を書いたとき尾崎翠は34歳でした。現実の少女期は誰しも失わざるを得ないものですが、大人になっても心の中に女の子を住まわせておいて、生き苦しい現実をそっとやりすごす方法を発明した、そんな風に見ることもできるかもしれません。様々な規範と正面から戦うのではなくて、相手を骨抜きにするようなサバイバルのスキルが描かれるこの「第七官界彷徨」は、現代における女の子の古典と呼ぶにふさわしい作品ではないでしょうか。

(抄録/山村東行)


この講演の全録は「報告集2012」に掲載されています。

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